第9回−ジャズ クライ・ミー・ア・リバー / ジュリー・ロンドン「あんたを思って、泣いた夜もあるのよ」とジュリーは言った真の美人歌手ジュリー・ロンドンが彼女のファーストアルバム「JULIE IS HER NAME」を発売したのが1955年。
ちなみに公表されているジュリーの生年月日は1926年9月26日。
つまりこの人の歌手デビューは29歳だった。
もちろんその前に女優としてナポレオン・ソロとかにちょい役では出ていたものの芽が出なくて、俳優でありプロデューサーのジャック・ウエッブと結婚していたから、主婦件女優みたいな肩書きだったのでしょう。
ところがこのアルバムが発売されて、その中から「クライ・ミー・ア・リバー」が発売されるとものすごい人気となり、スターの座に駆け上がっていくわけです。
人生ってわからないですね。
ジャケットを見ると、本当に美人です。
他に発売されているジャケットを見てもスリムだけれど出ているところはきっちり出ていて、その上、挑戦的な瞳が印象的ですね。
もうこういう女の人が傍にいたら、僕なんかたじたじです。
で、その女の人に、「あんたを思って、泣いた夜もあるのよ」と囁かれるわけです。もうだめですね。
「本当? 本当に泣いたの?」
「そう、川みたいに涙がこぼれたわ」
ってのが「クライ・ミー・ア・リバー」の内容ですね。
もう恨みつらみです。
他の女にいわれたら「うるせえなあ」ってところでしょうが、ジュリーに言われると「うるせえなあ」じゃなくて「いいなあ」が先に来る。
僕は最初、このcry me a riverという構文の意味が取れなくて、何ども口の中で繰り返したことがあります。
「あんたがわたしを、川のように泣かせる」です。
それだけ大量の涙が流れたということでしょうが、文学的です。
音楽も「ルート66」のボビー・トゥループがやっているだけあって最高です。
最初の「Now You Say Youre Lonley」の和音は半音ずつ上がっていくのですが、これはクリシェといいまして、同じ和音の中のひとつの音だけ変化させるテクを使っています。
メロディはひとつの音を伸ばしているのにバックが変化して、主人公の心のもやもやを音で感じさせるナイスアレンジです。
伴奏をギターのバーニー・ケッセルとベースのレイ・レザーウッドが担当している。このふたりは西海岸のファースト・コールのジャズマン。本格的ですね。ジュリーは最高のジャズマンのギターとベースのみで歌ったアルバムでデビューを飾ったということになります。
聞いてみてください。洗練されたジャズギターとウッドベースがジュリーのため息まじりの声に絡み付いて、ゆっくりとしたスイングを作っています。
まるで腰をゆっくりゆっくりグラインドさせるようなスイング。
白人の、
美人の、
29歳のちょい役で顔は知られていたけれど名前と顔が一致したことのないような女優が、ゆっくりゆっくり腰をグラインドさせながら、
「あんたを思って、泣いた夜もあるのよ」
と歌うわけです。
男なら爆発です。
ヘロヘロ。
リバティーはすごい。
29歳の新人歌手にここまで賭けたのです。
ジュリーもスゴイ。
29歳で恥ずかしげもなくここまでやったのです。
で、作品は最高。もちろん彼女の最高のアルバムとなりました。
ジュリーは3回結婚しています。
二度目がギタリストのハワード・ロバーツ。
この人はギタースクールをLaで開校して後年大きな成功を射止めました。
その後がルート66のボビー・トゥループ。音楽プロデューサーですね。彼のサックスも素敵です。
ひとくせある男が好きなんでしょうね。
ボビーとは最後まで幸せだったようです。
僕の周辺に「もう年なんですけど、歌手になれますか」と質問してくる女性がたくさんいます。
僕の答えは決まっています。
「あなたが魅力的ならいくつだって、大丈夫」
羽島 亨
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- 2006/08/31(木) 23:17:29|
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第8回−ジャズ 二人でお茶を / ビヴァリー・ケニー
ケニー、君と二人でお茶したかったよビヴァリー・ケニーの「二人でお茶を+1」がプライエイド・レコーズから発売された。
「うーん」
「そんなのがあったのか」
ケニーのアルバムはルーストから3作、デッカから3作というのが定説だった。その全部を集めようと躍起になったものだけれど、当時六本木のWAVEにいらした田中さんには(CDショップの方です)「あせらなくても、きっと出ますよ。5年くらい待てば」とか言われ、「そんなに待てるかよ」と中古レコード屋とか中古を扱っているCDショップを探し歩いてやっと6枚手に入れたのが10年ほど前。
何故そんなに躍起になるのかといえば、「美人らしい」からであります。
「美人らしい」というのはいささか怪しい表現ですが、さまざまな本に「美人歌手」とか「当時のジュリー・ロンドンを追う」とかという表現が数多く見られ、きっと美人なんだろうと思いながらCDとかLPを買いあさっていったわけです。でも、どのジャケットを見ても、「美人らしい」けれど「美人だと確信出来ない」。
疑問に思うんだったら発売されたジャケットを見てみてください。
最近ならネットを検索すれば一発で彼女のジャケットを見ることが出来ます。
記念すべきケニーのデビュー盤「Beverly Kenney Sings for Johnny Smith」は手で顔を半分隠して全部見えないし、2作目の「Come Swing With Me」が一番顔がわかるジャケなんだけれど、美人というよりはちょっとクールなお姉さんという感じで、別に口説きに走ろうという感じじゃないです。
3作目の「Sings With Jimmy Jones and "The Basie-ites"」は最悪で、「おいおい、アゴが長いんじゃないのか」ってな感じ。
このジャケは完全に失敗ですね。
4作目になるとデッカ盤「BEVERLY KENNEY SINGS FOR PLAYBOYS」は、タイトルにちなんでウサギのお面を被ったタキシード男と一緒に映っているんだけど、顔は横を向いていてどんな顔なのか詳細がつかめない。アゴは短くなっているようだけど、髪形が変で、恋心につながらない。大切なのは恋心です。ジャケ一枚に恋する男の気持を君たちは知っているのか!
5作目の「BORN TO BE BLUE」はソファに寝そべって下向いていて顔が確認できず。6作目の「LIKE YESTERDAY」なんか意地の悪いおばさんにしか見えない。
何が「美人歌手」だよ。何が「ジュリー・ロンドンに追いつく」だよ。これじゃどんな顔なのか全然わからねえじゃねえか!
6作集めるのにどれほどの時間と金をかけたのか。
毎週毎週中古レコード屋を回って、神田でケニーのジャケを見たといえば行き、オークションでケニーの最後盤が出るらしいといえばネットに貼り付き、バカみたい。
つまり、美人の噂は高いんだけれど、美人度を確認できない人がビヴァリー・ケニーだったわけです。あのジャケット見て「うわ、美人だなあ」ってケニーに惚れる人って、いないでしょう。
ジュリー・ロンドンはそこへいくと違います。
デビュー作の「「JULIE IS HER NAME」はすでに歌手でこんな綺麗な人がいるかなと思わせるし、第一、グラマーで僕の心をひきつけました。それからのジュリーのジャケットはどれも彼女の「美人」度を確認するに最適な写真が使われていて、中にはセクシーなポーズを作ってコスプレまでしている恥ずかしいジャケまであって、やっぱりリバティーって会社はエグかったけれど男心を確実に掴むのが上手かったなあと感心するわけです。
そこへいくとルーストとデッカはボケ。美人なら美人度を確認できるようなジャケにすべきでしょう。(と半分怒りに変わっている)
僕の中のビヴァリー熱が冷めた最近になって発売されたのがこの「二人でお茶を+1」。早速CD屋さんにいって買ってみると、これはすごい。やっぱり美人だったンです。
このジャケ、誰が撮ったか知らないけれど、アベドンっぽいポーズをとって、ケニーが美人だったことを明確にわからせてくれます。僕、こういう手の細くて長い女性が好みです。頭がちいさければ最高。でもケニーは頭もちいさそうで合格点。なーんだ、やっぱみんなが言うように美人だったんだ。(今までの投資が無駄にならなかったことへの、安堵)
で、音を聴くと、再度びっくりしました。
これがいいんです。
タイトル曲の「二人でお茶を」がすごくいい。
ピアノ一本で歌っているんですが、しなやかで、明るくて、フレーズにセンスを感じるわけです。ドリス・デイのこの曲もいいですが、ケニーのほうが色っぽ可愛い。
そういえばケニーのもうひとつの謎、「スタン・ゲッツのレコードからボーカルのフレージングを学んだ」とどこかに記述されているのを見たのですが、今まで発売されたCDのどこにもゲッツの影響なんてみられない。ただ歌っているだけで、飛びぬけたセンスをあまり感じなかったんですね。
ところがこの「二人でお茶を」はがんがんフェイクしている。メロディをどんどん変えて歌っているんですが、そのフェイクにゲッツとまではいえないけれど、コールマン・ホーキンスとかレスター・ヤングっぽいセンスを確認しました。なーんだ、センスあるお姉さんだったんじゃないか!
これ、デビュー前のデモテープだったらしいです。
僕なんか、ルースト盤の「THERE WILL NEVER BE ANOTHER YOU」よかこのアルバムに収録されている同じ曲のほうが好きだもん。活き活きしていてチャーミング。
そして最後のケニーの謎、どうして死んだかについては、ライナーノーツに答えがありました。自殺でした。
それまでの文献などではホテルの火事に巻き込まれてというのが定説でしたが、このライナーには昔の恋人の証言まで出てきて、彼女が自殺未遂を繰り返してきたことが語られています。キツイですね。
美人のジャケットを見て、ジャズのサックスからボーカルのヒントを得たという音楽に触れて、28歳の生涯を綴ったライナーを読んで、僕は成功を夢見たきれいなお姉さんが自滅してゆく姿をそのまま歩かされた気がして、ちょっとキツくなりました。
でも、このアルバムは名盤でしょう。
夢に向かって走った才能がそのまま形になっている。
ああ、生きているケニーと二人でお茶、したかったなあ。
みなさんも、美人には優しくしましょう。
美人だって悩み、抱えているんだから。(いやな奴もいるけど)
羽島 亨
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- 2006/08/31(木) 09:00:25|
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第7回−ジャズ POINCIANA / アーマッド・ジャマル
南海の気まぐれ娘に恋をする自分にぴったりくるピアノに出会ったこと、あります?
僕は14歳でジャズを聞き始めて(最初は渡辺貞夫さんのボサノバだった)から約16年位経ってやっと出あったのがこのアーマッド・ジャマル。
だいたいジャズピアニスト名鑑とか、名盤100とかには大きく扱われない存在がジャマルだったので、買い控えしていたわけですね。
通常ならオスカー・ピーターソンなわけです。エバンスもいます。今ならチック・コリア。ピアノトリオに名盤のないハービ−・ハンコック。ピアノトリオに名盤だらけのキース・ジャレットってなラインナップでしょうか。
アーマッド・ジャマル? 誰?ってなもんです。
勇気を出して買った理由は、マイルスが「枯葉」のイントロをパクったとか、「飾りのついた〜」の演奏方法はかなりジャマルからの引用があるとかという記事を見て、ジャマルというピアニストに興味をもってレコード店に走ったのがきっかけでした。
後でマイルスの自伝とか参考文献とか読むと、ジャマルとやりたくてシカゴまで出向いていたりしたのですが、ジャマルはこの申し出を断っていますね。
シカゴにあるパーシングというラウンジでの仕事が良かったみたいで、時のマイルスの申し出を断った男として有名になりました。
ジャマルは当時レコードの売れるピアニストで、エバンスとかエロール・ガーナーとか別格だったらしく、若造のマイルスとやる必然性もなかったのかもしれません。
ジャマルが他のピアニストと何が違うって?
とても気まぐれなんです。
1曲目の「but not for me」とかでも当然のフレーズを弾かなかったり。メロディですよ。メロディを弾かずにすませてしまうわけです。
メロディを途中で辞めちゃうんです。
仕方ないからべースのイスラエルは一生懸命ランニングするわけです。
時を見て突然引き出したり。
イスラエルは、「フーっ」ってなもんです。
とまあ、いい気なものです。
メロディもかなり高いところで短音で取っていたと思うと急に低いところでゴーンと引き出す。
「突然」が彼のキーワードでしょう。
で、こんな風に弾いてみようと思うと、弾けないんですね。ジャマルの気まぐれさは譜面に書くのがバカらしくなる。
僕なんか当時サラリーマンをしていたから、1の次は2で、2の次は3と、チームが理解しやすいような行動を取るのが大人だと理解していたので、こういう演奏はかなり過激に感じましたね。だって他人と調整しないわけだから。
そういった意味で「突然の人」ジャマルの存在は格好よかったです。
弾く時と弾かない時のタイミングの妙がすごくて、聞いてしまうんですね。
一体君たち、打ち合わせあるの?
譜面書いているわけ?
自分の弾くところと弾かないところ、決めてあるの?
という具合に質問が立て続けに出てしまうのですが、きっとジャマルは答えないでしょう。何たってマイルスを断った男ですから。
で、POINSIANAです。
この南海の楽園のような美しいメロディは、「美」ですね。
誰がこんなエキゾなメロディを考えつくでしょう。
南の風と海と髪に赤い花を飾った娘が出てきます。イメージで。
ジャマルのピアノは気まぐれ絶好調で、どんどんリフを作っていって気分をもりあげます。
そうです、ジャマルは曲にリフをつける名人だったのですね。
だからベースとドラムはそのリフに乗って演奏してゆくと、ある地点にたどりつく。
ジャマルの「枯葉」とマイルスの「枯葉」。イントロはおんなじです。
このイントロがジャマル得意のリフになっている。曲全体でここが一番いいです。
キュートですね。
マイルスはきっとジャマルのように吹きたかったンじゃないかと思います。マイルスのちょっと吹いて休む、あの独特のスタイルの原型を僕はジャマルに見ます。ちょっと弾いては休む。休んではちょっと弾く。それがいかにもわがままで気まぐれ。ジャマルの魅力です。
そういえば南海の娘POINSICANAもジャマルが弾くと、気まぐれないたずらっぽい女の子に聞こえて来ませんか?
羽島 亨
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- 2006/08/29(火) 22:37:34|
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第6回−ジャズ 耽美の極致/A Star To My Father ティエリー・ラングブルーノートから出たラングは音の綺麗なピアニストだなという感じがあったけれど、これほど耽美だとは思ってもみなかった。
アルバム・プライベート・ガーデンが出て、この1曲に収録されているA Star To My Fatherを聞くと、「あれ、ショパンにこんな曲があったっけ?」と思うほど、耽美なのである。
高い音程からはらはらと花びらがこぼれるように舞ってゆく様子。
その花びらが静かで青い池の水面にゆったりと浮いている様子。
午後の気持よい木漏れ日の中で聞こえる鳥の声。
モネの世界ですね。
耽美の極致。
「ショパンって、こんな曲書いたかな」と思いながら、実は背後に聞こえるベースやドラムのさりげないサポートがこれはクラシック曲ではなくて現代に生まれた楽曲なのだと僕に気付かせる。
NYのMOMAにかかっているモネの「睡蓮」いいですよ。
広い窓の傍に長〜い睡蓮が飾っているのがよかったなあなんて思っていたら、このプライベート・ガーデンのジャケには似たような写真の前で能天気に笑っているトリオの写真がありました。
(今見たら、違うジャケに変わってました。オリジナルの能天気さはダメだったんですかね)
どれがラングなのかわからなかったけれど、きっと真ん中の人でしょう。おぼっちゃんという感じです。才能のあるお坊ちゃん。
2曲目の「Nunzi」だって美しい。
エバンス的であるともいえる。エバンス最後の録音が発見されましたとこれを出してきたら、僕はその言葉を信じます。でも、エバンスよりもっと、現代性があるのですね。
その現代性とは何か。
エバンスにあるのは男の美学。男は黙して語らず。ラベルやドビッシーなどフランス音楽をジャズに取り込んだ慧眼は芸術家のそれであります。
きっといじめられたでしょうね。
エバンスって、誰ともあまりやっていないでしょう。
自分のトリオだけで、他人とのセッションが皆無に等しい。
キャノンボールとやった奴とかあまりよくないし。ゲッツともやっているけれど顔見世興行で実りないし。
エバンスはいわば、内弁慶の人です。
仲間とやらなかったら全然良さがでない。
きっと自分の美を守るには、自分を最小限理解してくれる相手じゃないとダメだとかたくなに貫いてきたんでしょう。
そこが誰とでもやれるピーターソンとはえらい違いです。
それだけ、新しかったし、いじめられたんでしょう。
だってジャズに耽美ですから。
それまでノリの音楽と思われてきたジャズに耽美を入れたわけですから、「女臭せえピアノ弾きやがってよ、お前」とかハンク兄弟とかにいわれそうじゃありませんか。
ラングは、エバンスを知って、ラベルもドビッシーもわかって、で、このプライベート・ガーデンがある。
つまりは孤独じゃないんですね。
エンリコ・ピエラヌンツィもいるしエバンス派は掃いて捨てるほどいる。
その中の一番になれば良いんです。
だから伸びやか。
エバンスみたいに意固地になっていないところが可愛い。どっちが好きかは聴く人の好み。
ただ、このアルバムは美しい。エバンスの「You Must」に迫る勢いです。日曜の午後、ワインなどを飲みながら聞きたい音楽です。
耽美好きなら、本当にオススメ。
羽島 亨
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- 2006/08/28(月) 23:11:57|
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第5回−ジャズ 男はトレンチコートである
映画「死刑台のエレベーター」のテーマ
マイルス・デイビス男はトレンチコートである。
ジタンの両切りを遠くを見るようにくゆらすのである。
秋のモンマルトルをゆっくりと歩くのである。
「俺にほれちゃダメだせ。苦労する」もごもご女の耳元でささやくのである。
そして孤独である。自分の決めた道を信じて、誰の賛成も得られずとも、ひとり進むのである。
こうした男道作法を僕に教えてくれたのは、60年代のフランスの俳優・アラン・ドロンだった。当時、アメリカ男の代表がチャールズ・ブロンソンなら、ヨーロッパ型のイイ男はまさしくアラン・ドロン。
で、僕はダーバンのトレンチコートを着込み、原宿シャンゼリゼをジタンをくゆらせながら歩いたのはもう遠い昔。ヘナチョコな青春でした。でもね、男が男に憧れる。いいじゃないですか。
あんな人になりたい。あんな風に生きたい。
そういう思いがファッションを生み、音楽を生み、イイ男を生み、イイ世界を生む。
レコードに針を落とした瞬間、部屋の空気が変わるということって、経験ないですか。僕が最初にそれを知ったのは、このマイルスの「死刑台のエレベーター」でした。
大体マイルス・デイビスがルイ・マルの映画に即興で音楽をつけたというだけで買いだった。サックスはヴァルネ・ヴィラン。ドラムはケニー・クラーク。悪いわけがない。
1曲目はもやのかかったようなマイルスの「あの」トランペットのアカペラからはじまる。暗黒街です。1曲目からアカペラです。
それに追従するようにベースとドラムがシャラーンと伴走してくる。まるで、男の主張に賛同するかのように。もうこれだけで夜の世界が広がってゆきます。
僕はこのフレーズを譜面に起こして、何度もピアノで弾いたことがあるけれど、このメロディはピアノじゃ絶対に表現できない。やはり、暗黒街の憂鬱は、ミュートしたトランペットが一番ということですね。
映画も見てください。ジャンヌ・モローが光っています。実生活ではマイルスと恋仲です。
ルイ・マル監督の白黒の映像がシャープで、これからはじまるサスペンス感を十分演出しています。
この音楽のぐっと来る感じって、何だろう。
きっと殺人した後、唯一の逃げ道のエレベーターが突然故障してそこに閉じ込められてしまうという主人公の孤独感と、孤高の音楽家マイルスという存在と、メロディがもっている孤独感がやけに一体になって、「男ならチンタラ生きるんじゃないぜ。自分の信じる道を歩けよ」と、つきはなされたような感じがするからだと気づきました。つきはなされて、自分が生きる。もう、こうなると禅の世界ですね。そうです、哲学がここにあるのです。
そういえば僕はこのアルバムをガールフレンドと聞いた記憶がない。
男友達とは何度も繰り返し聞いて、「男ってな・・・」という話題に花を咲かせていたけれど、ガールフレンドとはそんな話題をしたこともない。ま、「男というものは」なんてガールフレンドに熱く語る男なんて、最初から信用できないけれど・・・・。
世の中の男諸君。突き通しましょう。自分の好みとか感覚とか生き方を。突き通すことでしか、自分を表現することができないのです。それはとても難しいことだけど、でも、つきとおしましょう。そこでやっと、あなたの世界が見えてくるのです。このCDはそんなことを男達に教えてくれるありがたいCDです。
ああ、ちくしょう。僕もマイルスみたいにつきとおしたい。
羽島 亨
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- 2006/08/26(土) 13:38:00|
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第4回−ジャズ You Must Believe In Spring / ビル・エバンスで最上の一枚我が最愛なるピアニスト・ビル・エバンスの中で一枚を挙げろといわれて、僕ならと考えて、「You Must Believe In Spring」を挙げましょう。(誰かにそう尋ねられたわけじゃないんだけど、誰かにそう尋ねられたときのための準備として。何たって人間、準備が肝心)
ベースがエディ・ゴメスであります。
思わぬところから手が出てくるベーシスト。
次のスターの座を狙っています。
ロン・カーターは本当に安心して聞けるベースですが、ゴメスは気が許せないところがある。ちょっとでも気を抜くとどっかとんでもないところから手が出て、全部持ってかれそうな人であります。それと同じ感じがスコット・ラファロにもマーク・ジョンソンにもある。
きっとエバンスはそういうタイプのベースが好きだったんでしょう。
ドラムのエド・ジグペンはオスカー・ピーターソンとやっていたくらいのテクニシャン。この人は軽快にスイングする。そこがポール・モチアンとは違うところ。安定しているわけですね。
後期に属するエバンスのこのトリオがミッシェル・ルグランのシャンソンをジャズにする。
いいですね。
そういえば歌手マリーナ・ショーが最近再発されたCDでこの曲を素敵なワルツに仕上げて歌っていました。何たってメロディがきれいです。だってルグランは「シェルブールの雨傘」の人。「思い出の夏」の人。美メロといえばこの作家です。
で、結果は最上。メロディの甘さに流されず、エバンスがハードボイルドしているの素晴らしい。その上、ゴメスとの人間関係が映っている。そこがこのアルバムの良いところ。
この間、エバンスが実のお兄さんとジャズについてレクチャーしているDVDを購入。役割的に誰かと意見調整をするということを忘れてしまったようなエバンスがそこにいて、面白かった。
ま、あれだけピアノを弾ければ誰かと調整しながら生きる必要がなかったろうから、わが道を行くで、全然通ってきたのでしょう。
僕なんか歌手やプロダクションのオーナーやレコードメーカーやウチに通ってくれる歌手を目指す生徒さんたちの意向などを直感的に察知しないと生活にならないので、孤高の人、誰の言うことも聞かないエバンスは「夢」の存在、であります。
ただエバンスには「どうせ誰も俺をわかってくれないんだもん」という悲しさもある。そこが実の兄に対して妙にクールなエバンスが作っている。この人、感情あるんだろうかと思わせます。でも、ジャズを弾き始めたエバンスは、情感たっぷりなわけです。きっとジャズしか友達いなかったんでしょう。
一方ゴメスはもともとユダヤの血の入っている人だけに商売人。
青山のBODY & SOULで生ゴメスを聞いたのですが、このころのゴメスと違って倍くらいに太っていて、ジャズ成金という感じでしょうか。結局ジャズ界のVIPになりました。
演奏が終わった後、店の玄関に並んで当日聞きにきたお客様ひとりひとりと談笑したり握手したりサインしている姿をみて、これだけ気を使う人だからエバンスとできたんだと感心しました。
この曲、最初はヴァースから入るんだけど、ゴメスとの息が絶妙です。エバンスよりむしろゴメスのほうがつっこんで弾いている。
ゴメスが息を潜めてエバンスがどのタイミングを計って、ピアノの音を発する瞬間を先読みして弾いているのがわかるわけです。きっと、エバンスはゴメスがタイミングが悪いと、「バカじゃねえのか、お前」とののしったんだと思います。こんな上司は嫌ですね。
エバンスは自分の詩情だけを信じてメロディを弾いています。
好きに生きている人とそれにあわせて生きている人、という違いでしょうか。
バースの後のゴメスは、珍しくソロを取っています。
エバンスとの緊張から解き放たれたソロ。
「エバンスさん。ソロは自由に弾いていいって言ったもんね」という心の声が聞こえてくるようです。この開放感がすごい。
そしてその後、御大エバンスのソロ。
ソロを弾いたゴメスに対して、「おまえ、ちょっとやるようになったな。でも美ジャズっていうのは、こういうもんだぜ」という気迫があります。
美しいです。パリの秋を思い出させます。マロニエの甘い香りがそこにある。いいですね。そして、最後のエンディングを迎えるエバンス。
「やっぱ、このグループのリーダーは俺なんだぜ」という感じ。
最後のゴメスのトリルが「そうですね、エバンスさん」とエバンスの偉大さに泣いているように聴こえるのは僕だけでしょうか。
だから僕にとって「You Must Belive In Spring」は、人生を好きに生きている人と、他人に気を使って生きている人との激しいコラボレーションの場なわけです。悲しいゴメスと悲しいエバンス。泣けますね。
羽島 亨
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『kiyo風呂』 ブログの女王といえば眞鍋かおり【表】作曲の王道▲【裏】作曲の王道のトップに戻るテーマ:JAZZ - ジャンル:音楽
- 2006/08/23(水) 09:04:19|
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第3回−ジャズ 地中海物語 / エンリコ・ピエラヌンツィ暑い夏が来ました。
僕はこのシーズンが苦手で、出来ればハワイとか南仏とか南イタリアなんかで過ごしたいのですが、そうは勝手が許さない。そんなときの一枚です。
これはエンリコ・ピエラヌンツィのピアノにマーク・ジョンソンのベース、ガブリエレ・ミラバッシのクラリネットという変則のトリオで、ドラムがクラに代わったということは、メロディ重視のアンサンブルがテーマということでしょう。
どの曲もバラードからミディアムで、ゆったりしたメロディが印象的。アドリア海の水面に遊ぶ光の粒が踊っているようで、日ごろのイライラやドキドキがちょっと解消。こういうアルバムは本当に珍しい。
遠くから妻が僕に声をかけます。「今夜、どうする?」
「そうだな・・・暑いから中華でも行くか。桃花林のパイ生地包みの北京ダックが食いたい」
「その後、部屋で映画でも見る?」なんて妻が言ったりして。
いつもはガミガミうるさい妻も思わず穏やかになってしまうくらい、穏やかで上品な音楽がつまっているということを、言いたいわけです。
羽島 亨
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- 2006/08/21(月) 04:12:24|
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第2回−ジャズ Feeling Good / Randy Crawford、Joe Sample ランディ・クロフォードとジョー・サンプルのアルバムが発売されたので、早速購入。
僕はジョーのピアノを上手いと思ったことがない。
割とちいさなフレーズをこちょこちょ弾く人というイメージ。ただセンスは一級品。
今回のこのアルバム、選曲がものすごくよくて、1曲目、2曲目なんか、こんないい曲、あったのかと思うほどの出来であります。
1曲目の「FEELIN GOOD」と2曲目の「END OF HTE LINE」、それに4曲目の「RIO DE JANEIRO BLUE」。5曲目の「LOVE TOWN」、いいですね。何となくブルージーで軽快で、このふたりだからこそ取り上げられた選曲です。
もうひとつ、ミックスが良い。誰がミックスしているのかとクレジットを見ると、アル・シュミットさんでした。なるほど、ナタリー・コールの「アンフォゲッタブル」のアルさんね。いいのが当たり前です。この人、天才だから。1曲目のドラムとベースのバランスを聴いてください。耳が喜びます。
ジョーにしてみればランディとは「STREET LIFE」以来の再会であります。
いわば昔の女。
老年に近いピアニストと中年に入った女性ボーカルが「もう一回いっしょにやろうよ」って感じでメジャーを動かしてレコーディングできる環境も素敵だし、そのふたりがこれくらいいい感じでコラボできるのって、なかなかないです。
そういえばちょっと前に昔のガールフレンドと10数年の時間が経った後、偶然街で再会したことがあったなあ。
その時は昔話に花を咲かせたあと、「じゃあね」って感じで互いの巣にもどっていったっけ。昔はあれほど愛した関係だったのに、切ないですね。互いにあたらしい生活があると宣言しあった感じ。
別にそこから恋愛がはじまるとは思っていなかったものの、ふたりの間にあった時間とか人生が、それ以上の発展をこばんだわけです。と思うとこのふたりが羨ましくなった。ちくしょう、僕だってこんなふうに昔のガールフレンドと再会したかったぞ。
音楽というのはセックスしているのと同じ感じがあって、おなじビートに体をあづけていると、「うわっと」とか分かり合える瞬間がある。
かと思うと、全然ビートに乗れずに終わるセッションも多々あるわけで、それはその間に磨いてきた互いの人間の深みがなせる業なのだ。昔のガールフレンドと再会がうまくいった好例が、このアルバム。
羨ましい。。。
羽島 亨
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- 2006/08/19(土) 12:06:41|
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第1回−ジャズ ballads /
エンリコ・ピエラヌンツィ僕の大好きなJAZZピアノ奏者エンリコ・ピエラヌンツィ の新しいアルバム「ballads」が発売されました。
大音量で一曲目の「MI SONO INNAMORATO DI TE」を部屋に流すと、エンリコの情感たっぷりなピアノが美しいメロディをつむぎ出します。
それに答えるようにして現代最高のベーシスト・マーク・ジョンソンが弾きだす瞬間、もう、うわーって感じ。
これ、エンリコの新曲?と思いきや、ルイジ・テンコの作品だとクレジットがありました。
ルイジ・テンコは.1990年のキリン・ビールのTV-CF曲「Se stasera sono qui(夜の想い)」を歌った歌手で、美メロが印象的な人でしたが、こんな名曲があったのか。
エンリコは個人的な思いいれが強いのか、ナミダぼろぼろに弾きまくります。
まるで歌っているようとはこういうピアノを言うのでしょう。よく音楽評論家が「歌うように弾いている」とか書くのを見ることがあるけれど、実際に聞いてみるとそうかな、やっぱ演奏しているじゃないかってトラックが多い中、これこそ歌うように弾いている。
いや、もっというと感情むきだしで泣きながら弾いている。
ナミダどろどろ。げぼげぼ。じょろじょろ。
こういうの聞きながら、若い女を泣きながら口説いてみたいと思います。「もう、だめ。行かないで」とか、「別れたらここで死ぬ」とか。プライドとか全部捨ててじょろじょろやりたいというのは、僕だけでしょうか。
そういえば歌の泣きって何だろうと思って、昔プロデュースしていた高校を卒業する森尾由美ちゃんに卒業の歌を歌わせてスタジオで泣かせたことを思い出しました。
泣いているトラックをそのままレコードで発売するなんていう無茶しました。
そのとき、物理的に泣くというのでは泣くことが伝わらないわけで、やはり歌の泣きとは、「聞いている人が泣いていると感じるように歌うこと」なんだと知ったわけですが、いや、このエンリコは泣いている。泣いたピアノを聴きたければこれを聞けば良いという感じでしょうか。
ちょっとテンコについて・・・
生前はあまり恵まれた境遇でなかったテンコ。活動期間が5年で、最後には30歳にならない前に自らピストル自殺を遂げました。
皮肉なもので、彼の死後、相次いでレコードが発売され、現在でも多くの人々に愛されています。彼の逝去地サンレモでは毎年「ルイジ・テンコ賞」コンサートが開催されています。
羽島 亨
P.S.
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- 2006/08/16(水) 07:29:53|
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