第22回 FOR YOUNG MODERNS IN LOVE / サム・ドナヒュー
〜僕としては、デートの時のバックミュージックはこれ〜
サム・ドナヒューの「FOR YOUNG MODERNS IN LOVE」を手に入れた。
評論家の寺島靖国さんが企画した紙ジャケシリーズの一枚だったのだが、CDに針を落とした瞬間、「これはすごいCDだ」と小躍りした。
サム・ドナヒューはハリー・ジェイムスのところでテナー・サックスを吹いていた色男という印象だったけれど、音楽的に強い印象はなし。
ダンスだかステップだかというアルバムをタワーで見たことがあるけれど、ペパーミントグリーンのバックに金髪のすいたらしいテナーマンが写っていた。
50年代のバンドマンはルックスが勝負だったんですね。
1曲目の「LOVE LOCKED OUT」にやられる。
フワーっとステレオの前で音が広がってゆく。
その広がりが何だか最初、わからなかった。
聴いてゆくうちに気づいたのは4本のトロンボーン。4本のトロンボーンがフワーッと中低音でハーモニーをとっている。
「ぺっ」とかダメです。
特にトロンボーンを使うとき、高い音で「ぺっ」やりたがるアレンジャーとかいるけれど、現実を見せられた気がして、あれはダメ。
あくまでもスイートに、フワーじゃなくちゃダメです。
それをバックにサムが中低音でメロディをさりげなく吹く。サンボーンみたいに高い音でしゃくりません。パーカーみたいに狂ったように早弾きとかしない。あくまでも八分音符をレガートで吹いてゆく。くつろぎのサウンドですね。
ああ、毎日の緊張がほぐれてゆくって感じ。
ステレオが置いてある僕のちいさな部屋が50年代のニューヨークを見下ろす夜景の見えるレストランに変わっている。
ああ、こんなバンドをバックにデートしてみたかった。
マリリン・モンローみたいにちっっちゃくってグラマーでスイートな女の子を連れてカクテルでも飲みたかった。
彼女は僕がプレゼントしたちいさな箱からエステーローダーの口紅を取り出して、「うれしいわ、どうしてわかったの? これ、わたしがとってもほしかった色だわ」と顔を輝かせる。「これ、高かったでしょう?」
バックにはサムの「LOVE LOCKED OUT」。
周辺にはスーツとパーティードレスの恋人たち。いやが上にも気分が盛り上がる。
「高かったよ。でもいいのさ、会うたびにちょっとづつ返してね」
そして軽いキス。
なーんてね。
とてもスイートな曲が続きます。
「恋のチャンスを」「LOVE ME OR LEAVE ME」「ラブ・ネスト」
50年くらいに流行ったヒット曲はどれもよく出来ていて、とにかく心が癒されます。
そういえば昔、僕が大学のビッグバンドでトロンボーンを吹いていた頃、1stトロンボーンの先輩の家に遊びにいったとき聴かされたアルバムのことを思い出しました。
バックにストリングスオーケストラを従えて、フワーっと高い音で吹いていたのは、一体誰だったんだろう。どの曲もどの曲もフワーっとしていて、甘酸っぱい青春の匂いがしました。
最近のレコード会社が再発するアルバムはエバンスのモントルーだったりキャノンボールのライブだったり定番まくっていて面白くない。まとまった数が売れるようなものしか企画できないのがレコード会社の宿命と知りながら、次から次へと復刻されるアルバムは「歴史的名盤」「ジャズという芸術の金字塔」的な立派なものばかりで、当時流行ったラブソングをフワーと吹くトロンボーン奏者のアルバムなんて、目にはいらないのでしょう。
でもそうした歴史的名盤とか演奏技術の粋を集めたとかいうアルバムはきびしくてつまらない。一生懸命仕事をしている部下にもっと仕事をしろと叱咤激励する上司に似ていて、もうここまで頑張っているんだからいい加減ゆるしてよ。一日に二時間しか寝てないですよ、僕。なんて感じかな。
J-POPも同様の傾向です。
みんな頑張れという。
元気にという。
たまにはゆったりしろとか、仕事するなとか言ってほしいですね。
一生懸命愛するんじゃなくて、肩の力を抜いて愛してみようとか言えばいいのに。
そこにいくとサム・ドナヒューのアルバムは力が抜けていていいです。
歴史的な存在になろうとしていないところがいい。
素敵な音が鳴って、それが空中に消えてゆく。
はかなくて、粋、です。
力まない。
天才的なアドリブとかしない。
テンションもあんまり使わない。
ただただスイングしてハモル。
寺島さんに感謝。だって彼がいなかったら一生再発しなかったアルバムでしょう、これ。
今日は雨なので、仕事の後にタワーに寄って、買い損ねていたサムのペパーミントグリーンのアルバム、買って帰ろうっと。
羽島 亨
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- 2007/01/24(水) 09:00:00|
- ジャズ
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第21回 カウント・ベイシー / カンザス・シティ・セヴン
〜スイングは強力。でも「省エネ」なジャズピアニスト。〜
新年明けてから最初に何を聴くかと思ってCD棚をガサゴソをひっかきまわす。
最初は寝ている妻を起こさぬようにとちょっと遠慮しながらだったけれど、エバンスもいいけれどピーターソンもなぁとか、ゲッツも渋いけどスティットだっていいからなぁとか、あぁだのこうだの考えると、2007年を明けるためのCD選びは難航しました。
約15分ほど考えて、結論。
ベイシーとカンザスシティ7にしよう。
「カンサスシティ」じゃなくて「カンザスシティ」です。
ジャズの殿堂カンザスシティという発音は、昔々笈田 敏夫さんがライブでしていた発音そのまま。何かヤバくてジャズな感じがする発音ですね。
どうしてこのアルバムに決めたのかというと、いろいろ理由があります。
まずは、ベイシーの中でもビッグバンドではなくて、リトルコンボ作品であること。パーソネルがサド・ジョーンズにフランク・ウエスにフォスターにフレディ・グリーンにエド・ジョーンズにソニ・ペインと錚々たるダル顔ぶれであること。アレンジがご機嫌で、特にウエスとフォスターのフルートが新鮮に響くこと。その上、ベイシーのピアノがご機嫌であるからです。
とにかく聴いたことがない人は一聴してみてください。
ビッグバンドのベイシーとは一線を隔した魅力があるアルバムです。ジャムセッション風なんだけど、アレンジされていて。ベイシーの愛奏歌が多く納められているんだけれど、当日ベイシーの脳裏に浮かんだメロディをアドリブ風に演奏していたりもしていて。
自由と計画。ふたつの要素があって、ジャズという芸術が生んだ宝石のひとつです。
わたしはベイシーのピアノに内心、憧れがあります。
どうして?
答えは明快、省エネだからです。
省エネだけどやけにスイングする。
ピアニストといえばオスカー・ピーターソンです。
ビル・エバンスです。
キース・ジャレットです。
その方々はもちろん最高に上手いピアノです。
ホロビッツとかグールド級に上手いです。
ジャズのピアニストが下手でクラシックのピアニストが上手いなんて思っているのは相当頭が古いです。
今挙げた人達はどれをとってもF1級のピアノの上手さを誇ってます。
k-1級といってもいい。
とにかく毎日よっぽど練習していないと、形にならないテクニックを要求されているということです。
じゃ、ベイシーはと尋ねられると、黙ってしまいます。
じゃ、どうなのよと質問されると、でもいいんだよねと答えるのはわたしだけでしょうか。
本人はプレイボーイ誌のインタビューで下手さをカバーするために編み出した奏法だと話していました。自分でもあんまりピアノが上手くないことは承知なのでしょう。
後々パブロ盤ではピーターソンと一緒にやったりしていますが、そういうときのベイシーはいつも以上に寡黙になってます。気の毒なくらい。
でもですね、ビッグバンドを演奏しているときのベイシーの小エネピアノは、音数がすくないんだけれど物凄くバンドをスイングさせるエネルギーに満ちていて、気がついたらベイシーのアドリブフレーズを口ずさんでいる自分を発見したりするわけです。
つまり、聴く人に勇気をくれるわけです。
じゃ、ベイシーの何がわたしをそんなにひきつけるのか。
ベイシーのピアノには、いい気なもんだよなあって感じがいつもあるのです。
そんな気楽にピアノ弾いて、いい気なもんだよ、ベイシーさんって感じ。
ベイシーのオーケストラは大抵がピアノトリオからはじまっていきなりガーンと全部のホーンセクションが鳴るみたいな編曲が多いのです。ベイシーのソロ部分はいい気なもんで、突然全員がはいると途端に熱血になってゆく。
人生、がんばろうって感じでしょうか。
で、サド・ジョーンズとか超絶技巧の抜群のソロしたあと、フランク・ウエスとかがピョロピョロいい感じのソロをした後、再度登場するわけです。
おまえら、何やってんだよ。人生なんか、そー思った通りになんかいかないんだから、がんばるなよ。楽しめ。ってなもんです。
フレーズとフレーズの間に30秒くらい明けるのなんか平気ですからね、ベイシーは。
これがバド・パウエルだったら32分音符を1000個くらい詰め込めるスペースを、まったくのゼロにしてしまうということなんか、平気なんです。危険だよなあ。危険な親父。
楽器やった人ならわかるはずなんだけど、ベースがズンときてドラムがチーチャカいってスイングがはじまったら、普通の神経の人ならガンガン弾きたくなります。出来ればピーターソンみたいに華麗に。もしくはエバンスみたいに耽美に。キースみたいに唸っちゃったりして。
それが人情ってもんです。
で、一緒にプレイしているバンドメンバーに、「やるじゃん、おまえ」とか言われたり、ちょっと気になる女の子に、「羽島さんって、意外とピアノマンだったりして」とか言われて、「そうでもないけどさあ」ってな感じをどうしても狙ってしまいたくなるもんです。凡人としては。
でもベイシーはそんなものを一切狙っていませんでした。
彼が狙ったのは、下手は下手なりの存在感。
バンドリーダーとしての位置づけによる、美味しい登場。
みんながスイングしているのにひとりだけ涼しい顔の旦那芸だったんですね。
懐かしい友達といっしょに酒を飲むとき、「おまえ、何飲む?」
「何でもいいよ。お前なに?」
「どうしようね。焼酎?」
「いいねえ」
何て場面、居酒屋で死ぬほど見た風景だし、日本人なら絶対してしまう全体主義というか、調整主義。自分だけ飛び出すことを恐れるわけです。
わたしはそんな場では他人のことなど一切気にしないで「僕はワイン」という人が好き。
飲むときくらい好きにさせろよ、バカヤロウってな感じでしょう。
飲むときくらい好きにしても、誰も怒りゃしないって。
でもそんなときでも調整してしまうわたしがいます。
いまいましい。
自分の中にサラリーマンをやめて8年になるのに、みんなの思惑の中で目立たないように生きようという自分がいるのが嫌です。嫌われたくないのです。日本人ですね。
だから、2007年の初頭に、わたしはベイシーを聴くのです。
妻に、「起こしちゃってごめん、ちょっとさ、CD探してたもんで」なんて弁解がましい態度をとらない自分を見つけるために。
羽島 亨
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- 2007/01/12(金) 10:00:00|
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